2010-04-09

進学先は公立?私立?
新学期特別インタビュー


すべての私立高校は“ミッション”スクールです

ときの行政の方針に沿って、公のお金で生み出された公立学校と、創立者の信念に従い、私財を投じて生み出された私立学校。両者の違いを一口に言うと、そうなります。ではその違いが、何を生むのかをお話ししていただきました。

實吉幹夫先生
東京私立中学高等学校協会 副会長
東京女子学園中学高等学校 理事長・校長
實吉幹夫先生


「中高一貫」は、私立からはじまった


このサイトをご覧の皆さん──生徒さんも、保護者の皆さんも──は、今、高校受験に向き合おうとしているところだと思います。そのとき、どんな学校を志望校として選ぶかは、言うまでもなく、とても大切な問題です。

学校にもさまざまな種類がありますが、公立か私立か、というのは、多くの皆さんがまず最初に考えるところではないでしょうか。

このところ、公立高校を取り巻く状況が大きく変化していることが報道されています。新しい学習指導要領によるカリキュラムの変化や、東京都などでの中高一貫校の設置、そしてとりわけ、国の政策による公立高校の授業料の無償化は大ニュースとして受け止められていることでしょう。

学習指導要領は、文部科学省が、学校で教えるべき内容を規定するもので、私立高校もそれと無縁ではいられません。およそ10年に1度行われる指導要領の見直しですが、今回の改訂は、いわゆる「ゆとり教育」の軌道修正に注目が集まっています。しかし、そもそも軌道修正が必要とされたその内容を見てみると、こんなことが言えるのです。

まず、学校の週5日制についてです。ゆとり教育の柱の一つでもあったこの制度(実際には「学校教育法施行規則」によって、公立校に義務づけられています)については、今回の指導要領でも、その基本線は守られていますが、学校現場での授業時間不足という現実から、その運用に弾力性を持たせることがうたわれています。

ご承知の通り、多くの私立高校ではこの間も週6日の授業を続けてきました。その一方で、公立高校の動向とは関係なく、以前から週5日制を採用している私立高校もあります。それは「制度だから」そうしているのではなく、それぞれの学校が、自校の教育理念に基づいて、主体的に判断しているからです。週5日と6日のどちらが正しいと言うのではなく、大切なのは、学校自らが、自校の教育のスタイルに基づいて選び取っているか、そうでないかの違いです。

設置が進められている公立の中高一貫校も、長い間、私立校の専売特許でした。小中の9年間が義務教育とされてきたことで、公立学校は必然的に中学と高校とを一体として考えることが、長らくできなかったのです。ところが、私立校での一貫教育の有効性が認識される中、いわば後追い的に生まれてきたのが公立中高一貫校であって、その中身が私立のそれに追いつくには、まだまだ時間がかかることでしょう。

そして一番大きなニュースとして受け止められている公立高校の授業料の無償化ですが、本来は義務教育の意味やそのあり方も含めた大きな枠組みの中で検討されるべきことで、単純にお金の問題として事態が進んでいくことには違和感がぬぐえません。

学校の主役は、そこで学ぶ生徒であるはずですが、こうした制度が本当に生徒のためのものと言えるか、私は多少疑問に感じています。


不易流行


「不易流行」という四字熟語があります。変わらないものと変わっていくもの、と言い換えてもよいかもしれません。流行とは文字通り、その時々の「はやり」ですが、世の中が常に変化している以上、その変化に対応することは必要です。ですから流行自体が不要というわけではありません。ですが、ただ変化に流されるのでは、それは根無し草と変わりません。

やはり大切なのは「不易」の部分、たやすく揺らぐことのない軸足なのではないでしょうか。それがあってこそ、しっかりと足を踏みしめながら、変化の激しい世の中の移り変わりに、しなやかに対応していくことができるのです。
私立校の開設理念、教育理念とは、まさにこの不易の部分であって、制度や社会状況、先ほどお話しした指導要領などは流行に属するものです。

皆さんが学校を選ぶとき、とかく今現在の制度であるとか、進学実績であるとか、そうしたものに目を向けがちだと思います。それらはもちろん大切なのですが、きっと読み飛ばしていることの多い、学校の成り立ちやその理念についても、しっかり目を向けてほしいと思います。その理念と実際の制度がしっかり噛み合っている学校こそ、信頼のおける学校に違いありません。一方、そこがちぐはぐな学校は、ことによると「流行」に流されているのかもしれませんね。


「私」から「かけがえのないこの私」へ。


實吉幹夫先生さて、先ほど「学校の主役は生徒」だと言いました。この主役の内面が、以前とは大きく変化していると言われています。

「国」が何より大事だった時代と言えば、まず戦前を思いうかべるかもしれません。ですが実は、高度経済成長期の日本でも、特に公立の学校を中心に、戦争で傷ついた国の復興と、経済成長という大きな目標を目指して社会や企業が求める人材の育成を目指してきたのです。それはもちろん、必要なことでもありました。

ところが、経済成長が一段落し、社会が成熟期を迎えると、教育の世界でも、社会より個人の欲求を満たすことが優先されるようになっていきます。「かつては『私』と言っていた 「私」が、『この私』という言い方になり、それがさらに『かけがえのないこの私』と言うようになった」という説がありますが、1970年代以降、大きく変化してきた個人についての意識をよく表していると言えるでしょう。

「私」の大切さは言うまでもありません。けれども私が私であるのは、「私」以外の社会との関わりがあるからだという思いも、また非常に大切です。一人ぼっちの「私」に知識だけを付けることが目的ならば、家庭学習でも個人授業でも構わないでしょう。ですが学校は「教室で共に学ぶ」場として生まれました。それは人間の成長に、社会的な関わりが欠かせないからです。学校で学ぶということについて、このように「不易」な視点があれば、「私」の認識という「流行」だけが今日のように一人歩きすることはなかったのではないでしょうか。

ただし、ここで言う社会とは、高度成長期までの「社会」とはまた別のものです。あらかじめ用意され、その一員として「参加」する対象としての社会ではなく、一人ひとりの「私」が、主体的に「参画」することによって、自ら作り上げていく社会なのです。

こういった考え方に立って、一人ひとりの生徒と向き合い、人づくり・人間形成を行っていくことこそ、まさに私立校の本質であり、価値だと私は考えています。

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