2017-05-25

【連載】編集部注目の学校 徹底レポート
芝中学校・高等学校
「いのちについて考える」 第5回公開シンポジウム


芝中学校は港区に位置する中高一貫教育の私立男子中学校です。
昨年に創立110周年を迎えた、長い歴史と伝統を持つこの学校で、1月28日(土)に「いのちについて考える」と題したシンポジウムが開かれました。


24年間にわたり第三代校長を務められ、芝学園の発展に大変な寄与をなさった渡邊海旭(かいぎょく)先生の校長就任100周年を祝う記念事業の、5年間最後の催しとなります。


中高パスナビ編集部ではこちらのシンポジウムを取材させていただきましたので、その概要をお伝えいたします。




基調講演「いのちを生きる子供たちのために 高大接続改革の展望」
安西祐一郎先生(日本学術振興会 理事長・前慶應義塾長)

芝学園

これからの社会で働き、生きていくことになる子供たち

私が小さかった戦後という時代は、日本が一丸となって戦争の記憶から立ち直るために「良いものを作ろう」としていた時代でした。
結果として品質が良く安い「メイドインジャパン」というブランドができ、そのブランドへの信頼は今に至るまで続いています。
過去にそのブランドを支えていたのは、丁寧な手作業でしたが、それらの作業も少しずつ機械化され、今では「物を作る」という段階において次第に人間の担うべき仕事はなくなっているのです。
人間の仕事は、人と対話し協力し交渉するということへ移り変わりつつあるため、子供たちの学習もそれらの仕事をこなすことができるよう、協同学習型、対話型、アクティブな学びへと変わってゆくのは当然の流れと言えるでしょう。
これから学校での生活は、議論しながらまとめ、発表し、そこに質問をして語り合い、教養を身に着け、立ち居振る舞いも学ぶという「知識」と「態度」同時並行型のもの、また能動的なものへと変わっていきます。
また、おそらく今の子供たちが大人になるころには、海外の人と力を合わせて働くことも増えていくでしょう(それが普通になるかもしれません)。
その中で日本の子供たちが爪弾きにされたり無力感に苛まれたりしないよう、幸せになれるようにしてあげたいと思っていますし、これからの教育機関の役割とはそのような力を身につけさせることだと言えます。


機械と人間

2045年に人口知能(AI)が人間を追い抜く、という説があります。
機械が人間を凌駕する世の中は来るのでしょうか。
人口知能の台頭により、仕事の内容や種類が変わることは間違いないと思います。昭和から現在で見ても、当時あった仕事の種類は半減し、逆に昭和の世の中では想像もつかなかったような新しい仕事が増えました。
人間にしかできないこと、人間だからこそできることを探し、その能力を身につけるのがこれからの社会人としては急務です。
地球上の「中流階級」は今後、インドと中国の人で半分を占めるだろうとされています。
彼らと競争して勝つか負けるかということはさほど重要ではありません。子供たちにとっては、その「大多数の人々」と協力することが確実に必要になるのです。
生活も文化も異なる人々と協力できるように育てるというのはどういうことでしょう。
子供たちにとってこのシンポジウムの題でもある「いのちを生きる」とは、これからの長い人生、「未来を生きる」ということです。彼らが現役として働くことになる2060~2070年はまったく予想がつかない環境になっているかもしれませんが、その中でも生きていかれるような地力をつけてほしいと思います。


主体的に生きる

さて、しかしどのような環境でも生きていかれる地力を身につけるとはどういうことでしょうか。親や教師が何かを教えれば、それで良いのでしょうか。
私は、そうではないと思っています。
結局のところ、自分の人生です。親がこういう大学にいかせたい、こういう職業につかせたい、先生がこの大学にいってほしい、といくら思っても、それははっきり言って子供たちには何の関係もないことですし、強制力があってはいけないはずです。親や先生の意見を参考にするのは大切ですが、もっと重要なのは、自分で目標をみつけて達成に向け努力することです。
最近は、自分の好きなことをすっと言える子が少なくなりました。おそらく、欲しいと思う前に多くのものを周りから与えられているためでしょう。
これではインドや中国の「自分はこれからどうしたいのか」を考えてきた子供たちと対話ができないかもしれません。彼らは日本と比べ経済的に恵まれない部分があるゆえに、「こういうものが欲しい」「こういうことをしたい」「こんな大人になりたい」と自ら考えて目標を掲げ成長してきたからです。
どうか、子供たちには自分で目標をみつけ、答えのない問題に答えを自分で出すということの楽しさを知ってほしいと思います。それがどのような環境に放り込まれても、どのような人たちと共生することになっても、主体的に生きられるようになるための秘訣です。
そして、主体的に生きるということの中には、次の3つの生き方が含まれています。

1、多様な人と生きる
かつては「隣近所」という空間がありました。
学校でも家庭でもない中間に、楽しい空間があり、そこで学ぶことができましたが、最近はそれがなくなってしまったようです。
学校においても家族以外の人との生活を学ぶことはできますが、結局は似た境遇の子供たちばかりになりがちです。できれば近くの公園でも同じ町内に住むお年寄りの家でも構いません、家族だけではない、年齢や職業、家庭環境の異なる人と関われる場所を提供してあげてください。
多様な人々との関係を築ける力は、世界中の国や言語、文化など異なる背景を持った人々と生活し仕事をしていくことに絶対役立ちます。

2、協力して生きる・感謝して生きる
主体的という言葉を使うと勘違いをされる方がいらっしゃいますが、主体的に生きるというのは自分ひとりだけで生きていくことではありません。
自分は「生かされている」、つまり一人だけで生きていくことはできない、と実感して、自分を生かすために人と協力し、人に感謝しなければいけないのです。

3、誇りにして生きる
最後が、自分に自信があるか、自分を誇りにできるか、という点です。
同じ目的や意識を持った仲間がいる環境で、自信を持ち振舞うことは簡単です。しかし、世界のどこかに自分ひとりで立ったときにも、あなたはご自分の生き方や意見に自信を持てますか?
2点目にも通じますが、小さなころから周囲に感謝し、感謝・尊敬できる周囲やそんな人々に育てられた自分を誇りに思うことができれば、その気持ちは大人になってから傲慢や高飛車ではない正しい自信へと結実します。


大人の責任

今後の世界がどうなっていくのか、はっきりとはわかりませんが、それをなんとか想像して、その中で子供たちが不自由せず生き抜いていかれるように教育を施してあげる責任が、我々大人にはあります。
1993年は200万人を超えていた18歳人口は、2018年には115万人ほどとほぼ半減です。社会を支える人数が減ることがわかっているのですから、少ないパワーで支えられるように社会の方を変えることもまた必要になります。
家庭は子供たちにとって「安心して帰れる場所」でしょうか?
今の私たちの働き方は「子供にも継がせたい」と思えるものでしょうか?
企業においては労働生産性の低さが問題とされています。しかし今の大人が働いていないわけではありません。残業は多いのです。つまり残業すれば生産性が上がるわけではないことが証明されています。
少ない人数でも適切な働き方で生産性を上げられる道をみつけること、そして、増えていく仕事、減っていく仕事がある中、子供たちにどのような能力を身につけさせてあげられれば食いはぐれないのかを出来る限り想像し、教えることが大人の責任ではないでしょうか。


高大接続改革

その中において、高大接続改革とはどういった意味を持ち、また何を目指しているのか考えてみましょう。
小学校と中学校は義務教育です。ここまでの課程で、基本的な「学び方」を身につけられるようカリキュラムが組まれています。
高等学校、専門学校、大学といった義務教育以上の教育機関は何のためにあるのか、それは未来を生きるための力をきちんとつけさせる教育を施せるようにだと思います。
しかしながら、今は大学へ行くことそれ自体が目的となってしまい、高校や大学で必要な力を身につけることは二の次になっているとも言えます。
高校と大学の間にある「大学受験」には偏差値が強く根付いており、大学は自校の偏差値がどの程度かということを気にしていますし、高校も偏差値の高い大学にどれだけ生徒を送ることができるかということを気にしています。
そして、大学の偏差値はそう簡単に変動しません。高い大学はずっと高く、低いところはずっと低いまま、いくら努力してもなかなか上にいかれないのが現状です。
そんな「大学受験」の世界を変えるのは容易ではありません。
けれども、そこを変えていこうとして始まったのが新センター入試になります。
簡単に変更点を説明すれば、記述式回答の問題を入れるということですが、これは決まった答えがなく、ただ「知っている」「覚えている」だけでは答えられない問題です。書こうという気持ちがなくては書けません。
当然ながら、採点も今までと同じ方法では不可能です。基準がぶれないよう、また短期間で正確に採点するにはどうすべきか、そして英語に導入される「4技能」のうち今までにないライティングとスピーキングの試験方法もまた課題です。
高校生の勉強時間は近年増えてきていますが、そのほとんどが宿題の時間だそうです。これでは主体的に学ぶ時間が増えたとは言えません。
特に進学校の学生は優秀ですが、他の能力と比べてコンピテンシー不足(コミュニケーション能力がない)という調査結果もあります。これはとても残念で、勿体ないことです。多様な人と協力して生きていく力がなくては、せっかくの優秀な能力を発揮できる機会も失ってしまうのですから。
小学校、中学校、高校で少しずつ、自分で考える力、表現する力を蓄えていき、受験でその力を遺憾なく発揮して、大学で楽しく興味のある分野を学ぶことができれば……、と私は理想を描いていますが、そのために解決すべき問題、考えるべきこと、変えるべき習慣はたくさんあります。
テスト漬けにするなと批判するのは簡単です。肝心なのはテストの代わりに何を提案できるかということです。
子供たちが安心して「いのちを生きる」ことができるようになるために、学びの環境を整えてあげること。そのために今ある問題を解決し、生き方の手本を示すこと。それが我々大人の責任であると思います。




シンポジウム
「社会で『生き抜く』力を大学で身につけさせることができているか」

芝学園

高度経済成長期と比べ、今は厳しい時代になりつつあります。
そういう厳しい時代を生き抜くためにどういう力を身につけさせて社会に送り出すかというのが、大学の責任です。
路頭に迷わない、落ちこぼれない、就職して困難にぶちあたっても乗り越えられる、そういう力を身につけさせたいとどの大学も考えているでしょうが、それはいったいどういう力なのでしょうか? そして、その力を身につけさせるためにはどういう教育をするべきでしょうか?
これらを念頭に置いて、シンポジウムが行われました。


<討論者>
金沢大学 国際基幹教育院 教授 西山宣昭氏
徳島文理大学 総合政策学部 教授 青野透氏
金沢大学 国際基幹教育院 准教授 杉森公一氏
(以下、敬称略)


杉森: 今回の公開シンポジウムでは、「いのち」と「まなび」というとても大きくて難しいテーマを扱っています。
私は「よりよく生きるために学ぶ」のではないかと思っています。
大学は社会に繋がる最後の教育機関で、社会に出た後は常に自ら学んでゆくことになります。ですから、大学では自分の学び方を身につけ、学び続ける主体となることができるかというのが大切だと思います。
教員や親もまた、生涯学び続ける主体としては学生と同じですので、指導者というよりは仲間としてどういう学び方を教えてあげられるかが重要だと考えています。
今はどうしても、個人が試験を乗り越えるために学ぶという態度になりがちですので、対話と協同をしながら学ぶ方向に変えていくという今の入試改革は私には好ましいものです。
「生涯学び続ける者」を英語に訳すとアクティブラーナーとなり、アクティブラーナーになるための仕組みの一つ、手段がアクティブラーニングですから、アクティブラーニングの実行が目的にならないよう注意しなくてはならないと思っています。


西山: 働く場においては、問題をみつける力が最も大切なのではないかと思っています。主体的に生きるとは、何が問題なのかをみつけることなのではないでしょうか。
そして発見した課題を解決する(どこに課題があるのか探し、仮説を立てて検証し、解決のために動く)ことができ、更に言えば解決で終わらず根気をもって結論を導き出し、人にわかりやすく説明できることができれば社会人としては最高です。
以前に、日常生活で興味のあることについて問題をはっきりさせる、というテーマで授業をしました。根拠に基づいて仮説を導き結論を立てる、という論理的思考の授業も行っています。これは仮説が合っているか合っていないかということは二の次で、自分が立てた仮説の妥当性を高めるためには何を調べて確認せねばならないかということを論理的に考えるのが大切です。そういった態度を子供たちには養ってもらいたいですね。


青野: アクティブラーニングの実施が学校現場では増えてきています。
これは、まずある人物がもっている知識を周囲と共有し、周囲がその共有された知識を自分の知識として吸収すると共に知識の主を尊敬し、共有した人物は自分が持っていた知識を必要とされ肯定される経験からどんな知識でもまず人の前で発表することに意味があると知る、という智の循環が期待されます。
アクティブラーニングによって友達に自分の知識を伝える経験(奇抜であることが白い目を向けられるのではなく尊敬され注目される理由になるという経験・自分の奇抜さを肯定できるようになる記憶)を楽しむことで、人の難しい話を聞くことも苦でなくなり、自分の考えや思いを人に伝えることも上手くできるようになるのです。
この循環を回していくためには、多様性を可能な限り確保することが重要です。
人を自由にするのが教育だとするならば、学ぶことができるようにするのは人として生きるようになるための第一歩ではないでしょうか。
子供たちには、アクティブラーニングで学ぶだけでなく、その先にある「最後の選択は自分でするのだ」という決意とその重みを知ってほしいと思っています。それが18歳の主権者としての生き方でしょう。


西山: アクティブラーニングの方法、意義は素晴らしいものだと思います。ただ、今のやり方で理想とする力を子供たちに身につけさせることができるのかというのは、常に疑っていかなくてはいけません。
この方法を繰り返し続けていかれれば必ず目標に到達できる、という方法がみつかるまで、大学すべての教員が団結して価値を共有し、足並みをそろえて授業や研究室での活動で実践する必要があります。
もっとも、この足並みをそろえるというのはまったく同じことをするのとは別物です。内容は異なっても良いと思います。青野先生もおっしゃっていたように、多様性を確保しないとアクティブラーニングの効果は上手く発揮されません。しかし、一つの大学だけ、一つの学部だけがどんどん先へ進んでしまう、特定の分野だけが遅れる、ということがないように、進度はそろえねばならないと思っています。


杉森: 多様性の確保がポイントになるかもしれませんね。
他者との共生とは、好奇心を持った者が互いに尊重し影響しあうことです。
一緒に答え合わせをするのではなく、人間として他者の存在を認め合い、ぶつかり合うことを恐れず、学びの場においては自由な発言が許されて責任を問われない、そういう経験をどんどんしていかれるように、教育の方法も変えていかれれば良いと思います。


対談

芝学園

最後は、法相宗大本山薬師寺の執事を務められる大谷徹奘氏と、大正大学 仏教学部 仏教学科で教授を務められる林田康順氏による対談です。
仏教の教えや祈りを土台に、冗談などもまじえ、始終和やかな雰囲気で「いのち」そして「学ぶ」ということを語られました。
大谷氏は77回生、林田氏は79回生と世代の近い卒業生でいらっしゃり、司会として自ら立候補なさったという春日利比古校長先生の進行も含め、お三方のお話からは芝学園への大きな愛情と、この学校で学べたことへの深い感謝が伝わってきました。


今回を含む5回のシンポジウムは、東北関東大震災によって失われた命を思い、命を大切にすることを心掛け、社会に対して発信することが義務ではないかという思いにより「いのち」をテーマに実施されたそうです。


たった一つの命を大切にして生きていくということ。 それは、自分だけを大切にするということではなく、周囲との関係の中で生きている自分を自覚することであり、その関係をないがしろにしてはなりません。


また、自分を動かすことができるのは自分のみだと知ることも大切です。教師ができることは、生徒の腕を動かすことそれ自体ではなく、これが右腕、こちらが左腕、曲げるとはこういうこと、伸ばすとはこうやること、と動かし方を教えることのみなのですから。
周囲から恩恵を受けることで生かされているのは真実ですが、ただ待っているだけでは生きられません。
自分は自分で動かすしかなく、たった一度の誰も代われない人生をどのように生きるか、それを考えるのが「いのちについて考える」ことであると思います。




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