「まちがえるところがすっきりわかる」シリーズは中学入試に向けて勉強をはじめたみなさんが、つまずいたところをしっかり理解できるように作られた問題集です。中学入試対策では苦手分野を作らないことが大切です。この本では、入試の基礎となる問題を選び、受験生がまちがえやすいポイントを丁寧に解説しています。
この「入試問題にチャレンジ」コーナーでは、毎週1回、実際の入試問題を本書から掲載します。ぜひ挑戦してください!受験生がまちがえやすい問題やポイントをもっと学習したい方は、本書をご購入ください。
次の文を読んで,あとの問いに答えなさい。 (洛南高等学校附属中学校)
私の故郷は岩手(いわて)県です。1918 年の「①米騒動(こめそうどう)」で寺内正毅内閣(てらうちまさたけないかく)が退陣(たいじん)したあとに,総理大臣(そうりだいじん)になりました。私が組織した内閣は,陸軍・海軍大臣と外務大臣を除き,あとはすべて②政党員で構成されたため,最初の本格的政党内閣となりました。私は華族(かぞく)階級の出身でなく,爵位(しゃくい)をもっていなかったことから「平民宰相(へいみんさいしょう)」とよばれました。
(1) 下線①について,「米騒動」に関する文として誤っているものを,次のア~オから1つ選び,記号で答えなさい。
『中学入試 社会のまちがえるところがすっきりわかる』(117ページ)から出題しました。本シリーズは「算数文章題」「算数図形」「国語文章読解」「理科」「社会」があります。
(1) エ (2) 立憲政友会(りっけんせいゆうかい)
(1) エは1927年におこった金融恐慌(きんゆうきょうこう)のことである。
(2) 1900年,伊藤博文(いとうひろぶみ)が,旧自由党(じゆうとう)系の憲政党(けんせいとう)員とともに立憲政友会を結成した。その後,立憲政友会は政党勢力の中心的な存在となった。原敬は立憲政友会の総裁であった。