2011-12-09

想定外を生き抜く力-片田敏孝氏 「東日本大震災を考える」教育講演会(2)

10月31日、京都府向日市立西ノ岡中学校で「東日本大震災を考える」をテーマに教育講演会が開催されました。(同校は2010年にパスナビで連載した「風を起こす学校」の学校です。)

東日本大震災の津波から多くの小中学生が生き延びた「釜石の奇跡」の立役者である群馬大学の片田敏孝教授と、片田教授と一緒に防災教育を推進してきた前・釜石市の消防防災課長末永正志氏が、中学生・保護者・地域の住民の方々に向けて熱く語りました。今回は特別にこの講演会の模様をパスナビ読者にお届けします。

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■末永氏の講演「東日本大震災からの教訓 ~生きる力を育むとは~」はこちら


講演Ⅱ 「想定外を生き抜く力 
~大津波から生き抜いた釜石市の児童・生徒の主体的行動に学ぶ~」

群馬大学大学院教授 広域首都圏防災研究センター長 片田敏孝氏

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津波警報があっても、住民は逃げなかった

津波は定期的に起こる現象です。そしてその都度、日本の沿岸部を襲います。津波だけではありません。日本は災害大国です。地球温暖化の影響でこれから豪雨や台風による洪水・土砂災害が増えてきます。台風はどんどん大きくなり、川は氾濫します。
日本は災害大国であり、防災大国でもあります。日本の技術で自然災害を押さえる取り組みをこれまでやってきましたので、防御レベルはかなりのものになっています。そのため、自然災害に向かい合う姿勢はなくても堤防が守ってくれる、大丈夫、と思っている人が多いようです。

大きな揺れが数分間にわたって起こる地震は、海溝型の地震です。1分間以上の地震は、必ず津波が来ると思ったほうがよいです。津波は単なる大きい波というイメージがあるかもしれませんが、違います。海の水位が突然上がって、怒濤のように陸地に流れ込んできます。海からの大洪水というイメージです 。

3月11日の東日本大震災よりも前は、釜石市をはじめ、三陸沿岸では津波警報があってもほとんどの人が逃げていませんでした。津波警報が外れることが多いので「またか…」と思う人が多かったのだろうと思います。
「もし本当に大きな津波が来たら多くの方々が亡くなってしまうのでは…」と、末永先生と大きな危機感を抱いていました。市の公民館や文化会館で防災講演はやっていましたが、毎回来る人は同じでした。来てくれる人はもともと防災意識が高い方々です。広く市民の方に知っていただくことはできませんでした。
津波警報が出ても避難しない人たちに、どうやって避難する姿勢をもっていただくか、この大切さをわかってもらうことが非常に難しかったです。

学校の中でずっと防災教育をすれば、10年経って彼らが大人になったときには、津波警報がでたら避難することが当たり前のように思う住民でいてくれるのではないか。そう思って、8年にわたって釜石市の小中学生と津波に関する勉強を一緒にしてきました。

本当に「想定外」だったのか?

「今回の地震は、想定外だったから仕方が無かった」と言葉で片づけるのは楽ですが、それでは事の本質がわからないまま終わってしまいます。では、想定外と言うならば、想定とは何かを考えてみましょう。

今回の津波自体は、ひとつの自然現象です。「あり得る」のです。自然の営みとして考えるなら、想定しようと思えばできます。すなわち、想定の内です。

しかし、防災で守ろうとするときには、無尽蔵に大きな災害に対しすべてを想定していたらきりがありません。
「防御の目標」として想定することが必要となり、ある程度の想定内で防災をすることになります。
防御に目標があって、それを超えるものが必ずあることを頭に入れておかなければなりません。

世界一の防波堤が決壊

明治29年、釜石市の東方沖を震源として東北太平洋沿岸を襲った『明治三陸大津波』では死者約2万2000人に上りました。釜石市は当時の人口6,500人のうち4,000人亡くなりました。同じく釜石市の東方沖を震源とした昭和8年の『昭和三陸大津波』でも多くの死者を出し、昭和35年にはチリ地震津波にも襲われました。

釜石市では、これまでの過去の津波を防御の目標として、平成20年に海底63メートル、水面上6メートルの防波堤を完成させました。ギネスブックに認定された「世界一」の堤防でした。住民は、これでやっと安心して生活できるようになったと思い込んでしまいました。しかし、今回の津波で堤防はズタズタに破壊されました。逃げられずに亡くなった人はたくさんいます。

どこの地域にどのくらいの深さまで津波が来るのかという情報が書かれている「ハザードマップ」を、釜石市は住民に配っていました。釜石市の津波浸水想定エリアは、堤防ができたおかげで過去の津波浸水範囲と比べて狭くなっていました。皆さんがもしマップを受け取ったら、まず自分の家を探すでしょう。そして、浸水想定境界線に入っていなければ安心するでしょう。今回の津波では、ハザードマップの浸水想定外に住む人たちがたくさん亡くなりました。

住民の中には、「『明治三陸大津波』も『昭和三陸大津波』も、うちには津波が来なかったから大丈夫」「立派な堤防ができたから、うちは大丈夫」「市役所が出したハザードマップによれば浸水しないから大丈夫」と言っていました。これは正しいでしょうか? 相手は自然なのですから、どんなことでもあり得ます。懸命に命を守り抜く姿勢をもちながら生きなければならないのです。

日本は特殊な国です。町を歩いていて命の危機を感じません。海外では、犯罪、ピストルがある危険な国はたくさんあります。 たとえば南米のグアテマラという国は、人口よりも多いピストルが出回っています。皆、自分の身を守ることに必死です。日本は「自分の命を守る」ことに対する敏感さを無くし、自分の身を守ることに対してすごく受け身になっていると感じます。

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「避難3原則」

釜石市には中学生999人 小学生1,927人の約3,000人の小中学生がいます。 津波が来たときに登校していた子どもたちは、全員の無事が確認されました。ただし、登校していなかった子どもたちのうち、5名が津波の犠牲となりました。メディアから「釜石の奇跡」と呼ばれましたが、1名の犠牲者も出したくありませんでした。決して奇跡ではなく、褒められるものではないと思っています。しかしその一方で、自分の命を守り抜いた小中学生に対しては、心から褒めてあげたいと思っています。

私は8年間、釜石市の子どもたちに津波から生き延びられるための防災教育をしてきました。「避難3原則」に集約してポイントをお話します。

1.【想定にとらわれるな】

私は子どもたちに「ハザードマップを信じるな」と言ってきました。ハザードマップすら無いと、どこにどんな津波が来るかのイメージすらできないのでマップは必要です。ですが、これはあくまで明治三陸地震が来た場合を想定したマップです。マップをうのみにしてはいけません。ハザードマップの浸水想定外のエリアにある学校でも、もっと大きい津波がきたらそこも危ないのです。

君たち自身が判断しなければならない。
どんなことも起こりえるのだったら、君がやるべきことは何なのか考えようと言ってきました。

2.【最善を尽くせ】

「ここまで来ればもう大丈夫だろう」ではなく、そのときできる最善の対応行動をとること。
大きい津波が来ようが小さい津波が来ようが、子どもたちには最善を尽くせと言ってきました。
なぜなら、そのとき来る津波がどのようなものなのか、わからないからです。
3月11日は、雪の降る釜石市では震度5強くらいの地震が5分以上続きました。釜石中学校の教頭先生はハンドマイクを持って避難の指示をしようとしたら、生徒は揺れている最中からすでに避難所に向かって走り出していました。
ある先生が「逃げろ」と叫ぶと、まずはサッカー部の生徒が逃げ出しました。ほかの生徒も後に続きました。「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と鵜住居(うのすまい)小学校に向かって声をかけながら走りました。
鵜住居小学校はつい最近耐震補強が終わったばかりでした。はじめ小学生たちは3階に上がっていました。しかし、 普段から中学校・小学校合同で避難訓練をしていたこともあり、小学生にとっては顔見知りだったお姉ちゃんお兄ちゃんが一生懸命走ってくるものだから、それをみた小学生は中学生の後について走りました。

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地域のおじいちゃん、おばあちゃんも小中学生に後についていきました。鵜住居保育園の保育士さんも、子どもたちを連れて坂道を登りはじめました。その子どもたちを中学生が抱っこして、予め決めておいた避難場所の「ございしょの里」まで行きました。
しかし、「ございしょの里」の近くの崖が崩れているのを発見し、危険と判断してさらに上へ上へと目指しました。高台にたどり着いたその数十秒後に、すぐ近くまで津波が到達し、まさに危機一髪でした。

3.【率先避難者たれ】

私は、自然に向かい合って主体的に逃げること-「率先避難者たれ」ということを教えてきました。 自分の命があって、はじめて人の命を助けられます。 人の命も気になるけど、まずは自分の命を守り抜くことです。

もし、非常ベルがなったときに、みんなは直ちに逃げますか?
「この前鳴ったときも誤報だったし、大丈夫だったし、みんな逃げていないし」と思うのではないでしょうか。まさか自分が火事に巻き込まれているとは思っていません。 非常ベルが鳴って煙の匂いがして、「火事だー!」と誰かが叫んだら、ようやく逃げるでしょう。

非常時には、みんな不安な状態の中にいます。 だから、君が勇気を持って一番はじめに逃げる。そうすれば群衆心理でみんなが君についてくる。君が逃げるということが、多くの人の命を救うことになるのです。
ただし、かっこわるく見える。多くの場合は誤報で空振りに終わり、またみんなのところに戻ってこなければならないからです。でも、空振りだったら「何事もなくて良かった」と思ったほうがよいのです。

私はずっと釜石市の子どもたちに、「一番始めに逃げられる、勇気ある中学生になれ」と言ってきました。

津波てんでんこ

「津波てんでんこ」とは、三陸地方に残る、津波から子孫を残すための教えです。 津波があったら、一人ひとりがてんでばらばらに逃げろという意味です。

もし、地震が起きてからお父さんお母さんが君たちを迎えに行くとしたら、お父さんお母さんはその途中で津波に巻き込まれるかもしれない。お父さんお母さんには、「僕は絶対に逃げるから、お父さんお母さんも逃げて」と言うよう、子どもたちには言ってきました。
地震があったら、自分の命を守るために一人ですぐに逃げること。これで一家全滅、共倒れになることを防ぐことができます。命を守り抜くこと、一人ひとりが命に責任をもつこと、それを家族同士で信頼しあえることが重要なのです。

「助けられる人」から「助ける人」へ

釜石市では小中学校合同で避難訓練をしてきました。中学生が、小学生や怪我をした人の避難を支援する訓練をしていました。中学生として災害時にできるあらゆること学習してきました。

防火訓練、応急処置や救急搬送を消防隊から習ったり、非常食炊き出し訓練、津波記念碑の清掃、竹ざお担架づくりなどをしてきました。寝たきりのおじいさんやおばあさんをリアカーで引いて避難する練習もしてきました。彼らは地域の一員という意識で行動してきたのです。

津波なんか恐れる必要はない

日本はどこに行っても災害の危険があります。ですが、人間は災害の危険に毎日恐れながら生きて行くことはできません。
釜石の子どもたちは、自然豊かで海はきれい、そうした釜石の自然の恵みをいっぱいもらっています。自然の恵みに近づくということは、災いに近づくということでもあります。今回のような大津波は50年、100年に1回あるかないかという災害です。 「恐れるよりも、日々日常の自然を満喫してほしい。ただし、津波が来るその日そのときだけは災いをやり過ごすための行動をとれ。それがこの土地に住む人が持つべきお作法だ」と彼らに伝えてきました。

自分の命を守り抜く、そんなみんなでいてほしいです。

【講演後インタビュー】 人間教育まで広がる防災教育

自然に向かい合う「姿勢」をどう与えるか、という教育は大事だと思っています。 自然災害は、どんなことが起こるか分かりません。それでも生き延びる子どもであるための「姿勢」をつくることが重要です。

テクニカルに津波の逃げ方を教えるのではなく、そのときの最適な手段は何だろうと考えさせ、危機に向かい合う姿勢を教えていました。 おじいさん、おばあさんを助ける、小さな子どもたちの学校教育を助ける訓練を通して、子どもたちは地域の一員としての役割認識をするようになり、人間教育まで広がりました。 マニュアル的に対応する姿勢ではなく、困難を乗り越える力、その中で弱い者への配慮など、生きることそのものを彼らは学んでいます。防災教育を越えた教育効果があったと思います。

防災は、みんな敵(災害)を知りたがります。しかし、最大の敵は己、そのとき避難しない自分です。「敵を知るよりは己を知れ」と、子どもたちに伝えていました。 地震で揺れてもなかなか逃げられないのが普通の人間です。人間、我が身は大丈夫だと思ってしまいます。

常におびえる必要はありませんが、大きい揺れがきたらちゃんと逃げる。 その日そのときだけ意識を切り替えて、ちゃんと行動できる自分であってほしいです。

プロフィール

片田敏孝(かただ・としたか)

1960年岐阜県生まれ。豊橋技術科学大学、同大学院博士課程修了。工学博士。東海総合研究所研究員、岐阜大学土木工学科助手、名古屋商科大学専任講師を経て群馬大学工学部建設工学科に。同科講師、助教授を経て2005 年教授。2007 年群馬大学大学院工学研究科社会環境デザイン専攻教授、2010年広域首都圏防災研究センター長。ハード重視の都市防災からソフトを重視する災害社会工学を提唱。岩手県釜石市などで防災・危機管理アドバイザーを務める。文部科学省の有識者会議の委員として「防災科」の創設を提唱している。

■末永氏の講演「東日本大震災からの教訓 ~生きる力を育むとは~」はこちら




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